• 第十六条

    我に敵う人を上手にあしらい遂げるはちと心掛けすればし安し。我が面白き人に余り深入りせぬはし難し。

    この条文(一六)は、人との付き合いにおける理性と感情のコントロール、そして人間関係の機微を鋭く言い表しています。以下に現代語訳と詳しい解説を示します。

    第16条
    自分より優れていて、手強い相手を上手にあしらってうまく付き合っていくことは、少し心がければ意外とできるものだ。
    しかし、こちらが「面白い」と思う相手(気が合って好ましい相手)に対して、あまり深入りしすぎないようにするのは、かえって難しいものだ。

    この条文は、理性的な対応は努力でどうにかなるが、感情的な傾倒は制御が難しいという、人間関係における心理の逆説を示しています。

    ① 「我に敵う人を上手にあしらう」は、心がけ次第で可能

    • 「敵う(かなう)人」とは、自分より力量が上、あるいは強敵・手強い相手。
    • そうした人との関係でも、「ちょっとした心の持ちよう」で、表面的な関係を上手に整えることはできる。
    • 要するに、警戒・配慮・作法をもって接すれば、危なげなく関係を保つことが可能という意味。

    ② 「我が面白き人」には、かえって深入りしてしまいがち

    • 「面白き人」とは、自分が楽しい・好き・共感できる・波長が合う人。
    • そういう相手とは自然と親しくなり、感情的に深入りしやすい。
    • しかし、深入りしすぎると、後々のもつれや失望、依存、過干渉などのリスクもある。
    • にもかかわらず、それを「避ける」のは難しいという、人情の弱さを見抜いた一節です。

    現代的な応用・教訓

    • 緊張感のある人間関係は理性でコントロールできるが、気が合う相手ほど距離感を保つのが難しい。
    • 親しき仲にも礼儀ありの重要性。
    • 自分の感情に溺れすぎない節度が、人間関係を長続きさせる鍵。

    補足:この条文の妙

    この一節の魅力は、

    • 強い相手(外的課題)よりも、
    • 自分の「好き」「楽しい」という気持ち(内的欲求)のほうが、制御が難しいという逆説にあります。

    これはまさに、

    「強敵は克服できても、己の情に溺れるのは防ぎ難い」という、古今東西に通じる人間観です。

  • 第十四条
    人に披露したき能道具、もらい候も無用なり。扨又(さてまた)、当分入用にこれなき屋具、結布等、下値に買置くより入用の節に高値に買うべし。

    この条文(一四)は、無用なものを持たない慎ましい生活態度や、道具や持ち物への心構えを説いています。以下に現代語訳と詳しい解説を記します。

    第14条

    人に見せびらかしたくなるような能の道具などは、たとえもらったものであっても無用なものである。
    また、すぐに使う予定もない家具や布(結布のような贈答品や包装布)などを安いうちに買い置いておくよりも、実際に必要になったときに高くても買う方がよい。

    解説

    この条文は、次のような生活哲学・節度の精神を教えています。

    ① 虚栄を戒める(能道具を披露したき心)

    • 「人に見せたい」と思うような高価な能道具(芸道の道具)を持つ必要は  ない。
    • それが贈り物であっても、虚栄や見せびらかしの心があるなら不要。
    • **「持ち物は身の丈にあったものでよい」**という価値観がにじんでいま   す。
    • ここでの「能道具」は芸事だけでなく、見せびらかしたくなる高級品全般の象徴とも取れます。

    ② 先回りして買い込まない(屋具・結布など)

    • まだ必要でない家具や贈答品(結布)を、安いからといって買い置くのは慎むべき。
    • 必要なときに、高くてもその時に買えばよい。
    • 安さを理由に「無駄な所有」を増やすのではなく、必要なものだけを必要なときに持つという潔い精神がうかがえます。

    現代的な応用

    • 「セールだから」と買うのではなく、本当に必要なときに買うべき。
    • ブランド品を人に見せるために持つようなことは慎む。
    • 物を所有すること自体に価値を置かない「ミニマリズム」に通じる考え方 でもあります。

    補足:「結布(けちふ)」とは?

    • 結布とは、贈答や包みに用いられた布で、贈り物の体裁を整えるもの。
    • ここでは、日常ではあまり使わないが体裁のために用いる品の象徴として挙げられています。
  • 第十三条

    確かなる掛け売り商内(あきない)より利の少きやかましき現金売り大いにまされり、商内はちといやしき品の方こそよきものなり。上品めきたる人、商売にうとし。(いわん)んや商人を賤しく思い、儒者、俳人をうらやみ、軽き武家になりたきなどと心のつくは、大病をうけたる也。

    この条文(一三)は、「商人としての心構え」や「職業観」に対する強い道徳的・実践的な教えが込められています。以下に現代語訳と解説を示します。

    第13条

    たとえ利が少なく、手間がかかって面倒な現金取引であっても、確実に支払いを得られる掛け売りの商売よりもはるかに勝っている。
    商売の品は、少し卑しい(庶民的な)ものである方が、実のあるよい商売になる。
    上品ぶった人は商売に疎いものだ。ましてや、商人という身分を卑しく思い、儒者や俳人をうらやみ、武士のような軽い存在になりたいと思うような心を抱くことは、まさに大きな病にかかったようなものだ。

    解説

    この条文では、商人に対して以下のような重要な価値観の転換を説いています。

    1. 現金売りの価値を認めよ

    • 掛け売り(信用取引)は利が大きくても、回収に不安がある。
    • 現金取引は利が少なく手間がかかっても、確実性がある分、はるかに優れている。
    • 確実性・堅実さが商いの基本であるという教訓。

    2. 「いやしい品」=庶民向け商品の重視

    • 高級品や体裁の良いものよりも、庶民向けで日常的に求められる品のほう          が商売としては堅実。
    • 見栄より実利をとるべきだという現実的な視点。

    3. 職業への誇り

    • 商人であることに誇りを持ち、他の身分(儒者・俳人・武士)に憧れる      のは誤り。
    • そうした憧れは、職業倫理を損ない、商いに身が入らず、自滅を招く「心          の病」であると厳しく戒めている。

    現代的な意味合い

    • 「確実な利益と信用」を第一にせよ:無理に大きな利益を狙うより、確実    に現金が回る取引を重視することの大切さ。
    • 「見栄を捨て、実を取る」精神:ブランドや上品さにこだわるのではなく、実際に需要のある品で堅実に商売すべし。
    • 「職業に貴賤なし」:自らの仕事に誇りを持ち、他業種をうらやんで自分を貶めるな、という普遍的な職業倫理。
  • 第十二条
    米は米屋より、道具は道具屋より、茶は茶種屋より、其道ならぬ方より調うべからず。例え気遣いなき下値なる払いものも先の払い様にては、この方のケチになるべし。


    この一文は、物やサービスの調達における心得や礼儀について述べている道徳的な教えです。現代語訳と解説を以下に示します。

    第12条


    米は米屋から、道具は道具屋から、茶は茶種屋から買うべきであって、それぞれの専門でないところから調達してはならない。
    たとえ相手が気にしないような安い支払いの品であっても、最初の支払いの仕方によっては、こちらのけち臭さとして受け取られることになるだろう。

    解説

    この教えは、以下のような礼儀・商道徳のポイントを含んでいます。

    1. 専門店を尊重せよ:
      物は専門の店から買うべきであり、専門外の者から安易に入手してはならない。これは品質への信頼、商人への敬意、ひいては社会的秩序を保つ意味もあります。
    • 支払いは礼を尽くして: 

    たとえ相手が気にしない程度の金額であっても、支払い方によっては「ケチだ」と思われてしまう。金額の多寡にかかわらず、支払いの姿勢・態度が重要である、という教訓です。

    現代的な応用例

    • 安いからといって信頼性のない通販サイトで工具を買わず、ちゃんと         した専門店で買うべき。
    • 小額の買い物でも、お金の渡し方に礼儀や丁寧さを忘れない。
  • 第十一条

    少しにても名聞と自慢は表に恥を招き、裏には簡略の障りをするものな り。

    この短い条文は、名声欲や自慢心がもたらす害について端的に警告するものです。以下に、現代語訳と解説を示します。

    第11条

    たとえ少しでも、名声を得たいという思いや、自慢する心があると、表向きには恥をかく原因となり、内面では、倹約(簡略)を妨げるもととなるものである。

    解説

    • 「名聞(みょうもん)」:
       名声を求めること。他人に「立派な人だ」と思われたいという、世間体を気にする心。
    • 「自慢」:
       自分の功績や財産などを誇り、他人に誇示しようとする態度。
    • 「表に恥を招き」:
       名声欲や自慢からくる言動は、かえって他人から「浅ましい」「みっともない」と思われ、表向きの恥となる。
    • 「裏には簡略の障りをする」:
       自慢したい気持ちや体裁を保とうとする心は、倹約・質素(=簡略)の実行を妨げる。
       つまり「見栄を張るために余計な出費をしてしまう」ようになる。

    要点まとめ

    • 名声を求めたり自慢したりする心は、自分で思っている以上に周囲に見透かされ、恥を招く。
    • また、それは質素・倹約の妨げとなり、本来の生活の美徳を損なう。
    • 本当に慎み深く、簡略を重んじる人は、見栄や誇示心をもたない。

    この文は、まさに現代にも通じる教訓です。
    たとえばSNSでの「映え」や承認欲求も、度が過ぎれば人間関係や金銭感覚を狂わせる。
    その根本にあるのは、この「名聞」と「自慢」の心かもしれません。

    自慢心を捨てて、静かに質素に生きることが、最も恥なく、調和のとれた道である——
    そういうメッセージが、わずか一行に凝縮されています。

  • 第十条

    返礼事、茶礼、仕着せなどのようなることは余り簡略にはせぬものなり。万によき程のものというは一生知れぬものなれば人に相談のなる事は聞き合わせて但しくはなし。

    第10条

    お返しの品(返礼)や、お茶のお礼(茶礼)、仕着せ(祝いなどの贈り物として贈る衣服)などの類のことは、あまりに質素に(=簡略に)しすぎてはならないものである。

    どんなことでも、「ちょうどよい加減(ほどよさ)」というものは、人間が一生かけても見極めることは難しい。
    だから、このような礼儀に関することで相談が必要になった場合は、人とよく意見を擦り合わせて、慎重に対応すべきである。

    解説

    • 「返礼事・茶礼・仕着せ」
       → いずれも、人間関係・社交上の礼儀に関わる行為で、形式や心配りが問われる場面です。
       ここでの「簡略にせぬ」は、「節約を重ねすぎると礼を欠くことになる」という意味です。
    • 「余り簡略にはせぬものなり」
       → 倹約を美徳とするこの文書の流れの中であえて、「礼の場では過度な節約はよくない」と一線を引いているのが重要です。
    • 「万によき程のものというは一生知れぬものなれば」
       → 物事の「ちょうどよさ」(=やりすぎず、足りなさすぎず)は、一生かけても正解がわからないほど難しい。
    • 「聞き合わせて但しくはなし」
       → 「相談になるようなことは、他人とよく相談し、擦り合わせて、誤りのないようにするのがよい」という意味。
       独断ではなく、複数の意見を参考にする姿勢が大切。

    要点まとめ

    • 礼儀に関わる贈り物や儀式では、過度な倹約はかえって無礼になる。
    • 「ちょうどよい」加減を見極めるのは非常に難しく、自分一人で判断すべきでない。
    • 人付き合いに関する判断は、経験者や周囲と相談し、誤りのないよう慎重に行うこと。

    この教えは、節約と礼節のバランスについて重要な示唆を与えています。
    普段の生活では倹約に努めつつも、「人の気持ちが関わる場面」では、節約よりも心遣いを優先せよという配慮に満ちた教訓です。

  • 第九条

    費え物入りは、三年、五年に大物入り一度、一年に二、三度も覚悟の他の費えはありて、思いの外成る儲けは少なし。その療法は簡略なり。又、早朝に百目、弐百目損しても、日中に壱分、弐分の簡略に気をくばるが誠の簡略なり。

    この文は、生活における出費の現実と、真の倹約(簡略)とは何かを教えてくれる、非常に実践的な教訓です。出費というものは避けられず、想定外のことがよく起きる。だからこそ、日常の細かな倹約が真の節約である、と説いています。

    第9条

    生活していれば、三年や五年に一度は大きな出費があるものだし、一年のうちにも、二度や三度は思いがけない出費があるものだ。
    それに比べて、思いがけず儲けが舞い込むことは、実に少ない。

    では、その対策(療法)はどうするか?
    それは「簡略(=節約)」を実行することに尽きる。たとえば、朝のうちに百目や二百目(※かなりの金額)損をしてしまったとしても、その日のうちに、一分や二分(※小銭)を節約しようと心がける。
    このような日々の細かい節約にこそ、本当の節約の意味があるのだ。

    解説ポイント

    • 「三年、五年に大物入り一度」
       → 家の修繕、冠婚葬祭、災難など、大きな出費は周期的に避けられない。
    • 「一年に二、三度も覚悟の他の費えありて」
       → 予期せぬ出費(医療費、急な来客、破損など)は年に数回ある。
    • 「思いの外成る儲けは少なし」
       → 予想外の収入はめったにない。だからこそ、出費をどう抑えるかが重要。
    • 「簡略なり」
       → 「倹約」「質素」「無駄を省く」と同義。
    • 「早朝に百目、弐百目損しても…」
       → 朝に大きな損失があっても、その日の中でできるだけ小さな無駄を抑える努力を怠らないことが重要。
    • 「壱分、弐分の簡略に気をくばるが誠の簡略なり」
       → 真の倹約とは、小さな節約を積み重ねる姿勢にある。大きなことではなく日々の心がけ。

    要点まとめ:

    • 思いがけない出費は頻繁に起こるが、思いがけない儲けはほとんどない。
    • 出費に対する唯一の確実な療法は「簡略(倹約)」である。
    • 小さな節約を積み重ねる姿勢こそ、真の節約・簡略。
    • 大きな損があったとしても、日中の細かな節約を疎かにしてはならない。

    この教えは、現代の「無駄遣いを減らしたい」「家計を見直したい」と考える人々にも、そのまま応用できる実践的な知恵です。
    特に、「大きな損をした日こそ、小さな出費に気をつけよ」という姿勢は、心を立て直すうえでも貴重なアドバイスですね。

  • 第八条

    心の外に費えの出る事あれど、思い掛けなく儲けのあることは稀なり。思案し出して物使うことはあれど、工夫より出でて利得あるは、その半ばにも及ばず。されど亭主たるもの、在り来たりの見せの利潤に懐手(ふところで)して衣食を費やすは先祖のものをむさぼるなり。例え自身にて仕出したる身代も、天地水木の恩あり。然りとて山ごと等の商売をせよと言うにあらず。我が家業に朝に夕に工夫を廻らし、身をも遣いて衣食の恩を、天道へも、先祖へも、十分の一なりとも報ゆべし。人の世話も随分後のつかぬ事はすべし。

    この文は、「商売や生計の心得」について、特に努力・工夫・感謝・報恩を重んじる考えを述べた教訓です。日常の暮らしや家業における金銭感覚、心構え、人との関係など、実直で現実的な価値観が表れています。

    第8条

    思いがけずに出費が生じることはよくあるが、思いもよらず儲けが舞い込むということは、めったにない。

    考えたうえでお金を使うことはあっても、工夫して得られる利益というものは、その(出費した分の)半分にも届かないことが多い。

    しかし、それでも亭主(家の主人)たる者が、ありきたりの商売の儲けに安住し、手を懐(ふところ)に入れてのんびりと衣食を消費するのは、先祖から受け継いだ財産を食いつぶしているのと同じである。

    たとえ自分の努力で築いた財産であっても、それは天地(自然)、水、木といった恵みのおかげであり、(すべて自分の力ではない)ということを忘れてはならない。

    とはいえ、鉱山業などの大がかりな商売をせよというのではない。

    自分の家業において、朝な夕なに工夫を凝らし、自分の体も動かして働き、衣食に対して受けている恩を、天地にも、先祖にも、せめて十分の一でも報いるよう努めるべきである。

    また、人にしてもらった世話についても、後に見返りのないようなことでも、積極的に行うべきである。

    解説ポイント

    • 「思い掛けなく儲けのあることは稀なり」
       → 簡単に棚ぼた的な利益は得られない。堅実に生きよという現実的な視点。
    • 「在り来たりの見せの利潤に懐手して衣食を費やす」
       → 日々の商売で出る利益にあぐらをかいて怠けるようでは、先祖の遺産を食いつぶすのと同じだという戒め。
    • 「天地水木の恩あり」
       → 自然の恵みあってこその生活。感謝と謙虚さを忘れないように。
    • 「山ごと等の商売をせよと言うにあらず」
       → 大きなことをしろというわけではない。自分の仕事の中で工夫せよ、という現実的なアドバイス。
    • 「衣食の恩を天道へも、先祖へも、十分の一なりとも報ゆべし」
       → 稼ぎの一部を、目に見えない存在(天や先祖)への感謝として捧げるべきだという報恩の教え。
    • 「人の世話も随分後のつかぬ事はすべし」
       → 見返りを期待しない奉仕・善行も積極的に行えという利他の精神。

    要点まとめ

    • 無駄な出費は起こりやすいが、思いがけない儲けは稀。
    • 商売において、工夫や努力によって利益を得ることは大事だが、それにも限度がある。
    • 現状に甘えず、先祖や自然の恩に報いる心で働くべき。
    • 家業の中で地道に工夫を重ねることが、本当の生計の道。
    • 利益だけを求めず、人のためになることを見返りなく行う心が大切。

    この教えは、現代にも通じる「働き方の倫理」や「感謝と報恩の心」を含んでいます。安易な成功を夢見るのではなく、日々の仕事に誠実に向き合うことの価値を説いているのが印象的です。

  • 第七条

    郷に入りては郷に従い、又、時代時代の風俗に習うこと、此の二つは即ち天道なり。天は陰陽を媒体にして、盛衰を外にす。人の忠孝正直五行が万年も変らぬ如く、時の風俗と所の習いは南北と夏との替るが如し。

    この文は、「変化する世の中や場所に柔軟に順応することの大切さ」と「変わらぬ道徳との違い」について説いた教えです。以下に、現代語訳と解説を示します。

    第7条

    「郷に入っては郷に従え」と言うように、その土地に入ったなら、その土地の習慣に従い、また、その時々の時代の風俗(世の中の習わしや常識)に従うこと——この二つは、すなわち“天の道”である。

    天(自然の理)は、陰と陽の働きを通じて、盛んなものと衰えるものを外に現す。
    人間の「忠・孝・正直」や「五常(仁・義・礼・智・信)」といった道徳は、万年たっても変わることはないが、
    その一方で、時代の風俗や土地の慣習は、南と北が違い、また夏と冬が入れ替わるように、変わり続けるものである。

    解説ポイント

    • 「郷に入りては郷に従い」
       → よその土地へ行ったら、その地の風習や文化に従うのが礼儀という、よく知られたことわざ。
    • 「時代時代の風俗に習う」
       → 時代によって常識や流行、価値観は変わる。それに適応することも大事。
    • 「此の二つは即ち天道なり」
       → このように、場所や時代の変化に従うことは、自然の道理=天の理(天道)にかなっている。
    • 「天は陰陽を媒体にして…」
       → 自然界は陰と陽のバランスによって変化・盛衰を見せる、という東洋思想(陰陽五行説)を踏まえた一文。
    • 「忠孝正直五行」
       → これは「五常」(仁・義・礼・智・信)と同様に、変わらぬ人の徳目であり、時代が変わっても守るべきもの。
    • 「南北と夏との替るが如し」
       → 南と北の違い、夏と冬の交代のように、風俗・習慣は当然変わるもので、それを拒むのは自然に逆らうこと。

    要点まとめ

    • 道徳(忠・孝・正直など)は普遍で変わらない。
    • しかし、風俗(世間の慣習・常識)は時代や地域によって常に変化する。
    • 変化に柔軟に従うことは、自然の摂理=天道にかなっている。
    • 頑固に古い慣習にとらわれるより、時と場をわきまえて適応することが賢明。

    この教えは、「節を曲げぬこと」と「融通無碍であること」のバランスを教えるものです。
    現代にも通じる、**「変わらぬ信念」と「変えるべき柔軟性」**の両立の大切さを、端的かつ見事に言い表しています。

  • 第六条

    万(よろず)の仕損じものを軽しむるより、出来ざるがよし。又、十が六、七迄言葉を慎まぬより出づること多し。舌は禍の門と申し伝えたり。珍らしき人には勿論、至極心安き人にも一寸いんぎんならん方こそよけれ。何によらず人並みに口上すべし。先様(さきさま)を強いて興じさせんとするが故に障ることあり。口上は細川を舟で漕ぐ様に、寄らず、さわらずに梶を取りたし。偶々(たまたま)、戯(ざ)れおどけも挨拶ばかりにて手前は面白からぬ様に、然(しか)も戯れは至極加減ものなり。

    この文は、「言葉遣いや態度の慎み」についての非常に細やかな教訓です。失敗の多くは、口の軽さや無用な饒舌から生まれるという観点から、対人関係における言動の心得を説いています。

    第6条

    あらゆる失敗を軽く考えるよりも、いっそ最初から手を出さないほうがよい。
    また、十のうち六、七は、言葉を慎まなかったことから起こるものである。
    「舌は禍の門(わざわいのもん)」と昔から言い伝えられている。初めて会うような珍しい人にはもちろんのこと、たとえ非常に親しい人に対してでも、少しは丁寧で礼儀正しい態度をとる方がよい。
    どんな相手にも、世間並みの礼儀をもって話すのがよい。相手を無理に楽しませようとすることで、かえって問題が生じることもある。
    会話の仕方は、細い川を船で漕ぐように、岸に寄らず、触れず、そっと舵を取るように行うのがよい。たまたま冗談を言ってふざけるとしても、ほんの挨拶程度にとどめ、自分は面白がっていないような顔をしているくらいでちょうどよい。
    冗談というものは、非常に加減の難しいものである。

    解説ポイント

    • 「仕損じものを軽しむるより、出来ざるがよし」
       → 軽々しく物事に手を出して失敗するくらいなら、最初からやらない方がまし。
    • 「十が六、七迄言葉を慎まぬより出づること多し」
       → トラブルの6~7割は、言葉の不用意さから起こるという分析。
    • 「舌は禍の門」
       → 古くからの諺。「口は災いの元」に通じる言い回し。
    • 「一寸いんぎんならん方こそよけれ」
       → 親しい相手にも少しは丁寧に接するべきだというバランス感覚。
    • 「細川を舟で漕ぐ様に」
       → 会話は慎重かつ控えめに。余計なことを言わず、さりげなく進めるべきという比喩表現。
    • 「戯れは至極加減ものなり」
       → 冗談は加減がとても難しく、失礼や誤解を招きやすいので慎重に。

    要点まとめ

    • 失敗を恐れて慎重になることは恥ではない。
    • 不用意な言葉は多くの災いのもと。
    • 親しい人にも礼儀を忘れず、適度な距離感を大切に。
    • 会話や冗談は控えめに、余計なことは言わぬが吉。

    まさに現代でも通じる「言葉の慎み・距離感の美学」を説いており、 SNS時代にも響く内容ですね。