人の家のものは十が八、九姑(しゅうとめ)婆(ばば)殿(どの)よりおこられり。嫁の苦しみひどき、殺生程のことなり。女子の育て時に婆々になりて、嫁をにくまぬ様の伝授にてもありそうなものなり。但し、連れ添う夫の言い聞かせ様にて、年寄りて嫁いびらぬ仕方有らんか。
扨又、身上の破れは百が八、九十は倅の不心掛なり。その因は親の育て様、見せ聞かせする事、大事なり。
身上ばかりにてもなし。其の子邪智悪行ありて、他人に迷惑を残すは、その身上を破るよりもまさりて悪し。親もとがにならまし。

この条文(一五)は、家庭内の人間関係(特に姑と嫁)、子どもの育て方と家の行く末、そして親としての責任について説く、とても深い教訓です。

第15条
家庭のもめ事のうち、十のうち八、九までは、しゅうとめ(姑・祖母)から始まっている。嫁の受ける苦しみはひどく、まるで殺生に等しいほどである。
娘を育てる時には、将来自分が姑になることを踏まえて、将来の嫁に憎まれないような生き方を伝えることがあっても良いはずだ。
ただし、嫁と姑の間をうまく取り持つには、夫の言い方や態度が大切である。うまく言い聞かせることで、年老いた姑が嫁をいびらないようにできる道もあろう。

また、家(財産や家名)の没落は、百に八、九十は、息子の心得違いによるものである。
その原因は、親の育て方、日々の見せ聞かせ(教育や手本)が肝要なのだ。
それに、財産を失うだけでは済まない。子どもが悪知恵をはたらかせ、悪事を働いて他人に迷惑をかけるようなことがあれば、それは財産を失うよりも、はるかに悪いことである。
そうなったら、親が責めを負うべきであろう。


解説

この条文には、家庭倫理・教育観・親子関係の道徳がぎっしり詰まっています。

① 家庭内の問題は、しゅうとめ(姑)に起因することが多い

  • 「十が八、九」はほとんどという意味。
  • 嫁にとっての苦しみは、時に人の命を奪うほど(=殺生)だと、非常に強い言葉で表現。
  • ここには、家庭内での力関係や不公正を正す視点があります。

② 女子教育=将来の姑としての自覚も含めるべき

  • 女子(娘)を育てる時に、将来姑になった時に嫁をいじめないように、「伝授」すべきだ、と説いています。
  • 教育とは、ただ嫁入りの準備だけでなく、人を受け入れる立場になった時の心構えも教えるべきだという点は、現代にも通じます。

③ 夫の態度が嫁姑関係の鍵を握る

  • 嫁姑問題は、実の息子=夫の言動次第で大きく変わる。
  • 「言い聞かせ様にて」=夫の仲介・調整次第で、姑がいびらなくなる方法もある、と実際的。

④ 家の破綻の大半は子の心がけの悪さによる

  • 「百が八、九十」=家が傾く原因の90%以上は、息子の不始末。
  • しかし、その背後には、親の育て方・日頃のしつけ(見せ聞かせ)がある。

⑤ 財産よりも、子の人間性こそ重大問題

  • 子が悪知恵を働かせ、悪行をなすことで、他人に迷惑をかけることが最悪。
  • それは身上を失うこと以上に悪質な結果であり、その責任は親にある、とまで断じています。

現代的な意義

  • 嫁姑問題の構造的理解と夫の役割の重要性。
  • 子育ては「将来の社会的立場」まで見通して行うべきという視点。
  • 財産よりも「人間性を育てる」ことの大切さ。
  • 子の過失も、親の責任として受け止めよという厳しい道徳観。

とても含蓄の深い条文であり、家庭倫理・教育論・世代間関係にまで通じる内容です。

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