第二条
民間一生の大難というは、【御公辺】と病気と火事との他なし。それも類 焼は人並みなれども、不用心の人、丸焼け、怪我などの人並みを越するは多くは無調法なり。人並みの類焼に人より困る事あるは是も不用心の一つにして、常に望みの品を整え、不時の為に兼ねて稼がざるなり。勿論手前の火の用心は誰もせぬ人はなし。その上を一段と念を入れよとのことなり。病気も自身を充分用心し、家内に病人あらば、ちと仰山な程に取計らうべし。この二つは強く用心するばかりなり。扱て、第一の御公辺は用心は勿論、尚又、堪忍第一なり。されども、表向き御訴訟嫌いと見せ候ば、邪心のその弱味を見入り候ゆえ、上辺はきつとして十が九つは内済すべし。且又、御届申し上げる事は、公事と裏表にて差置かず、御訴え申し上ぐべし。大切が過ぎて咎めらるることなし。担又、御法度の事は、人が致そうが、損があろうが、親類が何と申そうとも、きっと御触れの通り相守るべし。例えば、 三両五両の損をいとい、大法を隠し犯し、その後より目立つ程の親の法事を致し、或は金銭豊かに使いて参宮する人あらば、おかしからん。此の度、か様の御布令あらば、是を捨て外に大義なる銭を出し、買改め候はば、伊勢への御初穂、先祖への馳走と思うべし。王法を背きては神仏も天道も許し給はず。
第2条
庶民の一生における三大災難とは、「御公辺(おおやけごと、つまりお上=公権力との関わり)」「病気」「火事」である。火事について言えば、類焼(もらい火)は誰にも起こりうるが、注意の足りない者は家が全焼したり怪我をしたりと、人並み以上の災いを招く。それは多くの場合、自分の不注意やだらしなさが原因である。同じ類焼でも、他の人以上に困るのはやはり備えが足りないからである。日頃から必要な物を整えたり、いざという時のために蓄えたり稼いだりしておかないからだ。もちろん、自宅の火の用心をしない人はいないだろうが、それでもなお一段と注意を重ねよ、ということである。病気も、自分自身の健康に注意を払うのはもちろん、家族に病人が出たら少々大げさなくらいに対応すべきだ。火事と病気、この二つは特に強く注意すべきことである。そして、最も厄介な「御公辺」(お上との関係)については、注意深くあるのは当然だが、それ以上に我慢・堪忍が何より大事である。ただし、外面では「訴訟などしたくない」という姿勢を見せておいたほうがよい。というのも、相手に訴訟を恐れていない様子を見せると、その弱みに付け込まれるおそれがあるからだ。外見は強くしておき、実際は十中八九、内々に解決する方がよい。ただし、お上への届け出が必要なことは、表も裏も分け隔てなく、きちんと申し出るべきである。過剰なくらい大事に扱っても、それで責められることはない。さらに、御法度(お上の法令)については、他人が違反していようと、自分に損があろうと、親類が何と言おうと、絶対に法のとおり守らなければならない。例えば、3両や5両の損を惜しんで法を破り、それを隠しながら、後から目立つように親の法事をしたり、金に物を言わせて伊勢参り(信仰行為)をするような者がいれば、それは本末転倒であり、おかしなことである。このようなご法度(禁令)が出たときは、それまでの習慣や私的な考えを捨て、たとえ金を使うことになっても、それを「伊勢神宮への初穂」や「先祖のためのごちそう」だと思って、正しく従うべきである。お上の法に背けば、神仏も天道(天の道理、天罰)も決してそれを許してはくださらない。
要旨まとめ
庶民が人生で遭遇する三大災難は「お上との関わり」「病気」「火事」である。このうち病気と火事は日々の用心で防げるが、特に火事については備えと注意が大事。
「お上との関係」は最も厄介で、我慢と堪忍が必要。訴訟などには慎重な姿勢を見せつつ、事実はきちんと届ける。法令は必ず守り、たとえ損をしても違反してはいけない。
形式的な信仰や行事を立派にしても、実際の行いが法を犯していては意味がない。法律に従うことこそが、神仏や祖先への真の供養になるという教訓が述べられています。
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