第一条

堪忍と用心と簡略とは、【鼎】の三足の如く、又仏家の仏法僧の三宝の如し。仏ならでは法を説き始め給はず。然も法を拡むるは僧にして、法を護り持つ故に僧とす。その如く物事に堪忍せねば簡略ならず、簡略は末の用心なり。物を買求めんと思うを堪忍して、費しをなさず、見苦しきを堪忍すれば簡略なり。酒食を堪忍するは無病の用心なり。無病は第一の簡略なり。

第1条

 堪忍(我慢)・用心(注意深さ)・簡略(簡素さ)は、三本脚の鼎(かなえ)のように、三つが揃って初めて安定するものだ。また、仏教でいう仏・法・僧の三つの宝のような関係である。仏でなければ法(教え)を説くことはできない。また、その教えを広めるのは僧であり、教えを守り伝える役目を担っているからこそ僧と呼ばれる。それと同じように、物事を我慢しなければ簡素にはできない。簡素にすることは、結局は将来の用心につながる。物を買いたいという欲を我慢すれば無駄な出費をせずに済み、また見苦しいものを我慢することで生活は簡素になる。飲食の欲を我慢することは、病気を防ぐための注意となる。病気にならないことこそ、最も重要な「簡略」である。

全体の要旨:

堪忍(我慢)、用心(注意)、簡略(質素)は、三本脚の鼎のように、どれが欠けても成り立たない。これらは相互に支え合うものであり、仏教の三宝(仏・法・僧)のように密接な関係にある。
日常生活では、欲望や不快を我慢することが無駄を省き、質素な生活につながり、それが健康や安心につながっていく。つまり、質素で健康な生活は、堪忍と用心によって支えられている、という教訓です。

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